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イングリッシュ・ナショナル・バレエ『眠れる森の美女』でのジョセフ・ケイリーとアリーナ・コジョカル  © Emma Kauldhar

ENBの『眠れる森の美女』


イングリッシュ・ナショナル・バレエのマクミラン版『眠れる森の美女』に、コジョカルが主演。アマンダ・ジェニングズのリポートです。 


イングリッシュ・ナショナル・バレエのマクミラン版『眠れる森の美女』に、コジョカルが主演。アマンダ・ジェニングズのリポートです。 

『眠れる森の美女』はプティパ振付の古典の中でも最も難度の高いバレエの一つだ。主演のバレリーナには幅広い力量とスタイルについての深い理解が求められる。リラの精もバレリーナのための役であり、ひじょうに強い技術と、スタイリッシュで優雅な、堂々たる存在感が求められる。妖精たちのソロは端正で正確でなくてはならず、コール・ド・バレエにも高いレベルが要求される。ケネス・マクミランによる演出を再演するにあたり、イングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)はエキスパートであるアルフリーダ・ソログッド、フリオ・ボッカ、イレク・ムハメドフ、アンソニー・ダウソン、アマンダ・アイルズを指導者として招き、正しい方向に努力を重ねた。

初日に主演したアリーナ・コジョカルのオーロラは、もっとも辛口の批評家さえも完璧と讃えたくなる出来栄えだった。長女を出産してからの完全復帰を果たし、驚くべき技術を示したこの舞台は、繊細さの究極のお手本でもあった。踊りは力強くコントロールされており、ルティレの高さ、ターン・アウト、回転の正確さ、ジャンプのダイナミックさなどはかつての彼女と同じように輝かしく、さらにすばらしいことに、きらめくような音楽性をもって音楽と戯れることで、解釈は彼女ならではのものとなっていた。上体、とくに頭の構え方はお手本のよう。特に喜ばしかったのは、ローズ・アダージョだ。4人の求婚者一人ひとりの顔を16歳らしい誰にも遠慮のない好奇心を持って見つめ、うれしそうにバラの花を受け取り、それをよくあるように投げるのではなく母の足元に丁寧に置くのだ。

 ジョセフ・ケイリーのパートナリングもすぐれていた。彼のデジレ王子は、真実の愛の対象を見つけた時ほとんど子犬のような喜びを示す。もっとも、ケイリーはすばらしいダンサーでありパートナーであるが、その解釈には何かが欠けており、愛し合う二人のケミストリーがやや足りなかった。

リラの精の加瀬栞は技術が強く魅力に溢れるが、この役には今以上の広がりが求められる。常に印象的なダンサーである康千里の歌鳥の精でチャーミング。カーチャ・ハニューコワは魅惑の花園の精に加えて、最終幕の宝石のパ・ド・カトルでも輝いていた。フランチェスカ・ヴェリキューはコール・ド・バレエの一員でも小さな役でも目を引かずにはいないが、この日のカナリアは魅力そのものが人間の形をとって現れたようだった。

イングリッシュ・ナショナル・バレエのマクミラン版『眠れる森の美女』に、コジョカルが主演。アマンダ・ジェニングズのリポートです。 

『眠れる森の美女』はプティパ振付の古典の中でも最も難度の高いバレエの一つだ。主演のバレリーナには幅広い力量とスタイルについての深い理解が求められる。リラの精もバレリーナのための役であり、ひじょうに強い技術と、スタイリッシュで優雅な、堂々たる存在感が求められる。妖精たちのソロは端正で正確でなくてはならず、コール・ド・バレエにも高いレベルが要求される。ケネス・マクミランによる演出を再演するにあたり、イングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)はエキスパートであるアルフリーダ・ソログッド、フリオ・ボッカ、イレク・ムハメドフ、アンソニー・ダウソン、アマンダ・アイルズを指導者として招き、正しい方向に努力を重ねた。

初日に主演したアリーナ・コジョカルのオーロラは、もっとも辛口の批評家さえも完璧と讃えたくなる出来栄えだった。長女を出産してからの完全復帰を果たし、驚くべき技術を示したこの舞台は、繊細さの究極のお手本でもあった。踊りは力強くコントロールされており、ルティレの高さ、ターン・アウト、回転の正確さ、ジャンプのダイナミックさなどはかつての彼女と同じように輝かしく、さらにすばらしいことに、きらめくような音楽性をもって音楽と戯れることで、解釈は彼女ならではのものとなっていた。上体、とくに頭の構え方はお手本のよう。特に喜ばしかったのは、ローズ・アダージョだ。4人の求婚者一人ひとりの顔を16歳らしい誰にも遠慮のない好奇心を持って見つめ、うれしそうにバラの花を受け取り、それをよくあるように投げるのではなく母の足元に丁寧に置くのだ。

 ジョセフ・ケイリーのパートナリングもすぐれていた。彼のデジレ王子は、真実の愛の対象を見つけた時ほとんど子犬のような喜びを示す。もっとも、ケイリーはすばらしいダンサーでありパートナーであるが、その解釈には何かが欠けており、愛し合う二人のケミストリーがやや足りなかった。

リラの精の加瀬栞は技術が強く魅力に溢れるが、この役には今以上の広がりが求められる。常に印象的なダンサーである康千里の歌鳥の精でチャーミング。カーチャ・ハニューコワは魅惑の花園の精に加えて、最終幕の宝石のパ・ド・カトルでも輝いていた。フランチェスカ・ヴェリキューはコール・ド・バレエの一員でも小さな役でも目を引かずにはいないが、この日のカナリアは魅力そのものが人間の形をとって現れたようだった。

第3幕のディヴェルティスマンは退屈なことも多いものだが、白い猫のコニー・ヴァウルズの色っぽい視線としなやかさな官能性に魅了されたし、シェヴィーユ・ディノットの機知あふれる狼には声をあげて笑った。

青い鳥とフロリナ王女のパ・ド・ドゥでは目を見張るようなテクニックと観客の目を惹きつける華がダンサーに求められる、ダニエル・マコーミックと金原里奈は稀に見る見事な踊りを見せた。マコーミックはまだコール・ド・バレエの階級に属するが、閃光のようなバットゥリーと雑味のないポール・ド・ブラは、この先の昇格が約束されたと思わせる逸材ぶり。ジュニア・ソリストの金原はすでに誰もが知る存在であり、さらなる躍進を確信させた。技術は完璧、そしてチャーミングで雄弁でもあり、本質を穿つような音楽性がその踊りを他とは一味違うものにしている。

カラボス役のジェイムズ・ストリーターも素晴らしかった。彼こそは本物の芸術家であり、おそるべき俳優である。ないがしろにされて傷ついた女性にしてアウトサイダーの、苦しみも悲しみもが、「なぜ私を招待客から外したのか」と王と王妃とカタラビュットを詰問する場面に、ありありと表現されていた。悪意は、カラボスのそれまでの人生から生まれたものなのだ。ストリーターは、かつてキャラクター役として鳴らしたジェイムス・ホワース、グラント・レイ、マイケル・コールマンに匹敵する、バレエ団の財産だ。

だがコール・ド・バレエに関しては、さらなる研鑽が必要だろう。身体の各部のプレイスメントやラインは端正で努力の跡がうかがわれるが、第2幕では足先の使い方のタイミングが悪い、脚が伸びきらないなどの問題があり、カブリオールの重心の上がりが不十分なのも残念だった。

もちろん、賞賛すべきところがないわけではないが(真っ先に思い浮かぶのはプレシャス・アダムズだ)、全体的に献身的な取り組みはうかがえるものの、ダンサーの資質にばらつきがあった。ENBのレパートリーは幅広く、多様な個性のダンサーが必要だから、一面的に批判するわけにはいかないが、古典のテクニッックの細部にさらに分け入るような指導が必要であり、それさえあれば、群舞の水準は「ほどほど」から「キラリと輝く」ものへと引き上げられるのではないだろうか。

ENBフィルハーモニックの演奏は、不満な点も残るが、果敢なチャレンジ。指揮者にとってもこれは難曲で、いくつかのソロでテンポが遅すぎ、その埋め合わせのように第2幕の幕開きは急ぎすぎだったが、ギャヴィン・サザランドが全力投球で各パートが渾然一体となった魅力を引き出そうとしていたのは賞賛に値する。(訳:長野由紀)