Xander_Parish_Japanese_Page

ザンダー・パリッシュ近影  Photo: Emma Kauldhar 
ザンダー・パリッシュ インタビュー




ザンダー・パリッシュ近影  Photo: Emma Kauldhar 


ザンダー・パリッシュ インタビュー




英国人ダンサーの誰もが憧れるロイヤル・バレエの団員という地位を捨て、何の保証もない氷点下のサンクトペテルブルクに旅立ったのは、ほぼ6年前のこと。給与も大幅に下がるし、ロシアでの将来には不確定なことばかりでしたが…今やマリインスキー・バレエのソリストへと躍進したパリッシュを、本誌編集長エマ・コールダーが現地で取材。その一部をお伝えします。

エマ・コールダー(以下EK):単刀直入に伺いしますが、移籍を後悔したことは?
ザンダー・パリッシュ(以下 XP): 全くないですね。マリインスキーへの移籍は、たいへんな冒険でしたが、人生最高の選択だったと思っています。ここの団員になれるなんて、外国人にはまずありえないこと。感謝の気持は今も変わりません。

EK: 主に二人の指導者に付いていますね。
XP: イーゴリ・ペトロフがコーチですが、監督のユーリ・ファテーエフにも『エメラルド』『ダイヤモンド』『セレナーデ』『アポロ』などのバランシン作品を習い、特にアポロは様々な角度から指導を受けました。古典はイーゴリについていますが、ユーリは僕の舞台を全部見てくれ、その都度アドバイスをくれます。だから、コーチは二人ともいえますね。イーゴリは実践的で、ときにはある個所を美しく効果的に行うために、教科書通りの教え方にこだわらないこともあります。彼がテクニックのために自分の身体をどう使うかを教えてくれるのに対し、ユーリは技術派で、自分の身体を活かすためにテクニックをどう使うべきかを教えてくれる。彼はまさに完璧主義者で、あらゆることが技術的に完璧であることを要求してきます。



ザンダー・パリッシュ近影  Photo: Emma Kauldhar 


EK: 役柄を演じることも大事ですよね。でも、演技を教えることは誰にもできないのでは?
XP: 演技とは、僕自身の中にあるものなんでしょうね。それはロイヤルでの4年半の間に、舞台裏や袖で目を凝らして観察していたものの成果でもあると思います。舞台を見ながら、たとえば自分がデ・グリューだったらマノンが腕の中で息絶えた時どうするだろうかと、役になったつもりで想像していました。プリンシパルの演技を見ながら、自分もそのように感情を表現するだろうか、これが好きか嫌いか?と。そうやって自分をその状況において頭を働かせ、音楽や感情をじかに感じながら解釈を深めていったんです…音楽はとても強い感情を喚起し、ステップに息を吹き込んでくれます。その波に乗りさえすれば、僕の感情はあるべき表現を見出すんです。



ザンダー・パリッシュ近影  Photo: Emma Kauldhar 


EK: 役柄を表現する作品の方が、より踊りがいがある?
XP: その通りです。バランシンの『ダイヤモンド』のように筋がないとされるバレエも好きですが、自分なりのストーリーを探して納得しようとしてしまいます。全体を見通す一筋の糸を見つけないと、無意味に終わってしまう。そんな踊りが何を語れるんでしょう?テクニックだけでは、形にはなっても踊りとしては退屈ですよね。舞台の上でレッスンを見せられてもつまらない。バレエとは、感情や感覚とともに、目的をもって紡ぎだされるべきもので、僕達が追求しているものの底に流れているのもそれなんです。『ダイヤモンド』でも、プリンシパル二人の間には愛の物語がある。バランシンの真意は分かりませんが、そこには確実に何かがあるんです。『ロミオとジュリエット』や『白鳥の湖』のように豊かな物語であれば、ステップにも意味が与えられます。そこが素晴らしいところで、アチチュード・ターンは技自体を見せるためのものではなく、王子はそれによって友達や宮廷の人々、農民たちに語りかけているんです。個々のステップには理由があり、目的があります。レッスンで動くようにではなく、ステップを通じて演じる方が、僕は踊りやすいし、クラスより舞台の方が居心地がいい。自分のことを技巧派ダンサーだとも思わないですしね。(訳:長野由紀)





サンクト・ペテルブルグの
『 眠れる森の美女』





マリインスキー・バレエ唯一のイギリス人団員ザンダー・パリッシュが、『眠れる森の美女』に初主演。豊かな将来性を感じさせたその舞台について、マイク・ディクソンがお伝えします。



 プティパ振付の『眠れる森の美女』は1890年にマリインスキー劇場で生まれ、現在は、原典版の特長を多く継承する壮麗なコンスタンチン・セルゲイエフ版が第二劇場の広い舞台で上演されている。だがこの版には、プティパの意図を歪曲した稚拙なソヴィエト時代の趣向も散見され、たとえば、プロローグで贈り物をする妖精たちは、そもそも純粋、豊かさ、雄弁、威厳などを象徴していたのが、優しさ、寛容、勇気等に変えられている。名前自体はさほどでないにしても、振付に組み込まれた姫への贈り物の図像学は重要だ。歌うカナリアの精は現在ではフルートを吹いているように見えるが、元々は、雄弁を示すために両手を口の脇に当てひらひらと動かしていた。また手首のゆらぎは豊かさの象徴としてパンくずをまき散らす動きを示していたのが、今や奇妙で意味のない、湾曲させた腕の動きにさし替えられている…といったあら探しはさておき、リラの精を踊ったアナスタシア・コレゴワは高くみごとにコントロールされたエクステンションが効果的で、他の妖精役のダンサーたちの踊りも質の高い踊りだった。また子どもの使い方がいかにもプティパらしく、とくにガーランド・ダンスは、24人のみごとに訓練された少年少女たちが、32人の大人のダンサーたちとともに踊り、趣きあるスペクタクルだった。ウラジーミル・ポノマリョフの王が実際に行進を率い、自らの宮廷での出来事一つひとつに反応しているのも新鮮、王妃のエレーナ・バジェノワは女性的で優雅だ。先ごろの『アンナ・カレーニナ』でカレーニンをみごとに演じたイスロム・バイムラードフが知恵と悪意に満ちたカラボスで、身体をくねらせた歩みが、悪の妖精のねじれた性格を象徴していた。またエカテリーナ・オスモールキナのフロリナ王女は全身のコントロールが完璧で、個々のステップはじつに洗練されていて見事であり、アレクセイ・ティモフェーエフの青い鳥は鋭く繊細な足と、すぐれたエレヴァシオンが印象的だった。


マリインスキー・バレエ『眠れる森の美女』での、アリーナ・ソーモワとザンダー・パリッシュ 
Photo: Emma Kauldhar


 オーロラ姫のアリーナ・ソーモワは、この役に求められる資質をすべて備えている。美しく優雅で、ジャンプは強く、ラインは純粋でとても叙情的でもある。一方で、若い姫君を演じるというよりマリインスキーのバレリーナそのままに存在している場面が多く、その分、演劇的な説得力は弱まった。オーロラという役は、第一幕の初々しい少女から、最後の幕でのもっと王女然とした威厳ある存在へと成長していかなくてはならない。この“成長”という課題をクリアすれば、ソーモワは世界最高のオーロラになるだろう。ローズ・アダージョには安定感と本物の優雅があったが、少々せわしなく、もっぱら求婚者たちのサポートに頼っていたので、さほど興奮を誘われなかった。だがその後に続くヴァリエーションは、ソーモワの最良の部分を見せるものであり、技術的にも完璧で眼福といえるできばえ。最後のパ・ド・ドゥでも彼女は期待どおりで、平静を保ち、もっとも難しいステップもやすやすとこなしていた。

 今回がデジレ王子の初役となるザンダー・パリッシュは、最初の狩猟の場面では内省的で控えめだったが、続く幻影の場から城へと進んでいくところでは躍動感と威厳をもって敵に勇敢に立ち向かい、剣を片手に大きな存在感を発揮していた。グラン・パ・ド・ドゥのヴァリエーションはこの夜のハイライトともいえるもので、ダブル・トゥール・アン・レールは完璧、ピルエットは形がよく、ジャンプは堂々として空を駆けるようだった。パリッシュは新しい役に挑むたびに成長しているようで、身体も力強くなり、ポール・ド・ブラは以前にもまして力感と表現力が豊かになった。今やノーブルな主役ダンサーの本質を完璧かつ堂々と体現し、このデジレ王子は、後々までも彼の十八番として語り継がれるのでははいか。ソーモワとのパートナーシップは視覚面でも感情面でもバランスがよく、サポートも行き届いていた。カーテンコールで大きなバラの花束を贈られたパリッシュは、即座にそれをソーモワに渡し、愛と感謝を示した。音楽のテンポはほぼ完璧で、ダンサーに配慮しつつ、いざいう場面では緊迫感にあふれる。ガヴリエル・ハイネの知的な指揮は、オーケストラの豊かな音色を個としても全体としても引き出した。いつの日か、ハイネがコヴェント・ガーデンでもバレエを振ってくれるよう祈っている。(訳:長野由紀)