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モスクワ音楽劇場バレエ『ジゼル』での、ナターシャ・オシポワとセルゲイ・ポルーニン 
Photo: Svetlana Postoenko


オシポワ、ポルーニンの 『ジゼル』
Stanislavsky Ballet - Giselle




モスクワ音楽劇場での稀にみるスター同士の共演について、ラウラ・カペッラがお伝えします。

 共通のバックグラウンドを持つにも関わらず、オシポワとポルーニンのキャリアはこれまで交わることがなかった。2012年1月に彼が電撃的にロイヤル・バレエを退団しモスクワ音楽劇場に移籍したとき、彼女は同じモスクワのボリショイを離れサンクトペテルブルグに移ったばかりで、翌年にはロンドンへと拠点を移す。その後瞬く間に時は過ぎ、2015年。今やポルーニンの腕には「ナターシャ」のタトゥーがあり、二人の仲はイギリスの新聞各紙でも取り沙汰されるほど。昨年の4月、怪我をしたデイヴィッド・ホールバーグに代わって彼がミラノ・スカラ座で初めて彼女と踊った『ジゼル』以降、両者は頻繁に共演してきた。7月にはオシポワはモスクワ音楽劇場の『アザー・ダンス』(ロビンズ振付)カンパニー初演に客演し、かつてマカロワのために作られたこの作品をポルーニンと踊った。そして7月のこの『ジゼル』。観客の歓声を指標とするならば、ゴールデン・カップル誕生の可能性は高そうだといえる。
 とはいえ、アーテストとしての二人は対等ではない。近年はオシポワの方が成果を上げているとされ、一方で過去に大きな足跡を残してきたポルーニンは、ゲストとしての限られた活動にとどまっている。モスクワ音楽劇場は彼が唯一ゲスト・プリンシパルとして籍をおくバレエ団だが、今回もそのアルブレヒトには曖昧なところがあった。スキンヘッドに近い刈り上げで、ロマン主義とは相容れない強面のミリタリー調の外見。劇場の外では正真正銘のアンファン・テリブルなのだろうが、舞台ではオシポワの野生児的な解釈の影に隠れがちだった。
 彼女のジゼルはすでに伝説的だ。第一幕では子供のように本能的で、第二幕での精霊そのものの浮遊感も、群を抜いている。ダンサーたちは、今や、小さい跳躍であっても彼女のバロンを真似ようと躍起になっている。すなわち、素早いアントルシャを床に近いところで行うよりも、宙に浮き、無重力感を表出するために力を注ぐ踊り方だ。
 ダンサーたちの力づくな踊りが目につく昨今だが、今回のオシポワも、ヴィリとなったジゼルの最初の登場場面では、より高く、速く、強くという意図が露わで興ざめだった。ミルタに踊りを命じられる場面でも、弾みをつけるために振付本来の形を犠牲にしており、特にフリーレッグのかかとを床にしっかり降ろすのが気になった。音楽の間合いを無視して踊り始め、指揮者が慌てて追いかける場面も。ゲストとしてリハーサル時間が限られていることの弊害は大きく、第一幕でも、あやうくコール・ド・バレエに衝突しそうになっていた場面もあった。
 ポルーニンは二幕では真価を発揮し、30回のアントルシャを軽やかに、両腕を緊張のない低いポジションに保ったまま苦もなく行った。ポジションはひじょうに自然で完璧、本人さえその気になれば世界最高のクラシック・ダンサーの一人になれるはずだが、演技が芳しくなく、ロンドン時代に比べても見劣りする。今回のアルブレヒトは深味を欠き、ジゼルへの愛を確信させてはくれなかった。オシポワ自身も、その腕に抱かれて、子どものように彼を見つめ、愛を乞うていたのだが。
 主役以外の出演者もみな素晴らしく、名のあるゲストの出番を盛り立てていた。今回のタチヤーナ・レガート版は、振付に淀みがないのに加えて古いマイムを復活させた、ロシアではなかなか見られないプロダクションだ。ペザント・パ・ド・ドゥではタチヤーナ・メルニクが、少々ジャンプに固さはあったものの、古典にふさわしい正確さで女性ヴァリエーションを踊った。相手役のアレクサンドル・オムレチェンコは脚が長く、2013年のバレエ学校卒業の際に、ボリショイからの誘いを断ってこのバレエ団に入った逸材。若さにあふれ、将来有望だ。第二幕の24人のヴィリは完璧なユニゾンの感覚を見せ、特に左右から交差する場面で盛大な拍手を誘っていた。
 秋からの新シーズンにはプリンシパルのアンナ・オルとセミョーン・ヴェリチコがオランダ国立バレエへ、昨年マリインスキーから入団したユリア・ステパノワも退団、メルニクもハンガリー国立バレエのソリストにと、かなりの異動がありそうだ。この変革の時期の鍵を握るのは、生え抜きのオクサーナ・カルダシュだろう。今回も世界レベルのミルタ役として眼を引いた彼女は、強さと軽さを兼ね備えた稀有のダンサーだ。静かな威厳の中に哀しみを潜ませ、しかし復讐心の塊として観るものの心を震撼させた。10月30日に予定されている「アシュトンの夕べ」のような新機軸にも、彼女の存在は欠かせない。(訳:長野由紀)