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アシュトン振付『ザ・ドリーム』でのブカレスト国立歌劇場バレエ。Photo: Emma Kauldhar


ブカレスト国立歌劇場バレエのダブル・ビル - The Dream / DSCH





ルーマニアの国立バレエが、本拠地でラトマンスキー振付『DSCH』とアシュトンの名作『ザ・ドリーム(真夏の夜の夢)』を上演。マイク・ディクソンがお伝えします。


 アレクセイ・ラトマンスキーの『DSCH』は、ニューヨーク・シティ・バレエで2008年に初演されて以来高い人気を誇り、各国の主要カンパニーのレパートリーに採用されてきた作品である。ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲ヘ長調を用いた作品にはすでにケネス・マクミランの『コンチェルト』がある。振付のよどみなさという点ではマクミラン作品に軍配が上がるが、ラトマンスキーの本作は、抽象作品の体裁をとって入るものの、より豊かな感情が背後に隠れている。タイトルの『DSCH』は、ショスタコーヴィチの名前がドイツ語で“D.Sch”と表記されることに由来する。自身も作曲家と同じくサンクトペテルブルク出身のラトマンスキーにとって、これは共鳴するところの多い音楽だったのだろう。

 ブカレスト国立歌劇場バレエ団による今回の上演は興奮を誘うもので、クリスチャン・サンドゥの指揮とステファン・ドニガのピアノも見事。そしてホリー・ハインズの衣装は、4組のカップルが赤、3組のカップルが金、トリオが黒とターコイズ、そして主演カップル(日高世菜とダヴィッド・チェンツェミエック)がグレーという色彩豊かなもの。最初の場面では、男性アンサンブルを従えて登場した“ターコイズ”のフランチェスカ・ヴェリクの跳躍が印象的だった。玉川貴博と吉田周平の男性デュオもエネルギッシュな群舞を従えて跳躍や回転を次々と見せたが、旋風のようなシークエンスでのバレル・ターンや両手を腰にあてたままのダブル・トゥールは、とりわけ素晴らしかった。

 ゆっくりとした第2楽章は3組のカップルの踊りで始まり、一井あかね、マリーナ・ミノイウ、ナスタジア・フィリッポウ、ラズヴァン・カコヴェアヌ、リアム・モリス、エゴイツ・セグラがそれぞれのデュエットで、異なる段階にある人間関係を親密に描き出した。主演の二人の踊りでは、チェンツェミエックが叙情的で柔らかなパートナリングで日高を高々とリフトして舞台上を運んでいき、憧れを輝かしく表現した。その後3組のカップルが再び登場し、一人の男性が床に倒れ、そこへ励ましの手が差し伸べられるというフレーズが繰り返される。この楽章の最後では、男女が名残り惜しそうに、舞台の上手下手へと別れてそれぞれ消えていく。

 最後の楽章は遊び心に満ちエネルギッシュで、チェンツェミエックは舞い上がるような跳躍を繰り返し、複雑で力の漲るフィナーレを迎える。舞台上のダンサー一人ひとりが献身的で、世界中のどんなカンパニーと比べても遜色のない出来栄えだった。



Ballet of the Opera National Bucharest in Ratmansky's DSCH. Photo: Emma Kauldhar


 もう一つの『ザ・ドリーム』は、芸術監督のヨハン・コボーが『リーズの結婚』『マルグリットとアルマン』に続いてレパートリーに加えたアシュトン作品である。今回の上演でまず目を引いたのは、冒頭での妖精たちの群舞の最初の入場で、ポワントの音が全くと言っていいほどしなかったことである。先の硬いシューズのたてるマシンガン掃射のような音に慣れっこになっている私のような者にとっては、別の作品を観ているかのようで、その規律正しい登場の生みだす神秘的な雰囲気を、堪能したことである。上演指導者のパトリシア・ティアーニーと、アシュトンのこの傑作の質を維持しているペトルカ・アルモスニン、そしてコボーに、最大級の賛辞を贈りたい。全体を通してコール・ド・バレエはじつによく揃い、アシュトンのスタイルを守っていた。4人の恋人たちの踊りは巧みだったが、コメディのタイミングには鋭さを欠いていた。パックの吉田周平は(たいへんなテクニックの持ち主だ)、いつもは火の出るようなスピードのあるダンサーだが、この役に必要な千変万化の性質は、とくにスケルツォの場面では表現しきれっていなかった。粗野な職人たちは、しっかりした役柄表現を見せた。

 アリステア・ベイティのボトムは、かのアレグザンダー・グラント以来最高の演技。つまり、これ以上の褒め言葉は見つからないということである。小柄で敏捷で生気溢れるベイティが木に背中をこすりつけて掻くところでは、ブカレストの観客から期せずして喝采が起きたほど。ポワント・ワークも、難なくこなしていた。

 そしてタイターニア役のアンドラ・イオネテは、天賦の才を持つアシュトン・ダンサーである。表現力に富む叙情的な腕と柔軟な胴はこの作品のためにあるかのようで、フットワークもお手本のよう。小柄で魅力的なこのバレリーナは、タイターニア役を踊る誰もが求めてやまない資質を、全て兼ね備えた存在といえる。オベロン役のバーナビー・ビショップは筋肉質で男性的なため、理想的なキャストとは思えないが、舞台上での自然な威厳は役によく合っていた。演技にはじつに説得力があったし、スケルツォでは力と威厳に満ちた振付を火の玉のように踊りきった。そして最後のパ・ド・ドゥではイオネテとともに、造形の美しさを極めてみせた。彼女の詩的でとろけるようなところと、彼の確固たる存在感が引き立てあい、魔法のようなパートナーシップを生み出していたのである。そしてこのパ・ド・ドゥ、近年のルーマニアとイギリス両国のバレエの伝統の融合が、それぞれに恵みをもたらし互いの良さを大きく引き出していることの、象徴のように思われたのだった。(訳:長野由紀)