Review_Japanese_Woolf_works


ウェイン・マグレガー振付『ウルフ・ワークス』でのアレッサンドラ・フェリとギャリー・エイヴィス
Emma Kauldhar by courtesy of the ROH


ウルフ・ワークス Woolf Works




 「今の私、過去の私(I now, I then)」と題された第一部は、ウルフの最大の人気作ともいわれる『ダロウェイ夫人』を端的に思い起こさせる。マグレガーとドラマトゥルクのウズマ・ハミードの協力が功を奏し、原作文学から取られた筋立てや状況が鮮明に思い浮かび、周到に言及されるウルフ自身の人生とも緊密に絡み合う。だが、この新作バレエの第一部で何より驚いたのは、マグレガーがこれまでの作風とは相容れない、常套的な振付語彙を多用していたことだ。演劇的に濃密で叙情的な手法が『インフラ』や『クローマ』での獰猛で鋭利な要素に取って代わり、そこに時折、効果的だが思いもかけない独創的なジェスチュアが割って入る。振付のアイディアが直線的に発展してゆくので、自分たちが若かった頃の危険なゲームや禁じられた記憶の中に消えていく登場人物たちの内面のドラマは、十分に、また力強く表現され、誰もが理解でき、共感を呼ぶものとなっていた。

 巧みな設計によって交響楽的に盛り上がっていた雰囲気は、残念なことに第二部、「変容(Becomings)」の始まりとともに乱暴に遮断されてしまう。『オーランドー』に基づくこのパートでは、表面的で攻撃的な、ジェンダーを歪曲するような造形やセンセーショナルな照明効果のもとで痙攣的に身体を歪めた動きが延々と続く。踊りはポストモダン的で、始めのけたたましく発作的な動きは、小説の“ねじれ”とも共鳴するかのようで印象的なのだが、期待通りには展開せず、関節の外れたような不自由な動きのヴォキャブラリーは、次第に陳腐で反復的なものになってゆく。いっとき現代バレエの最新潮流の核心であった、奇矯でアクロバティックなオフ・バランスの動きはいまや、バレエという芸術の中で、すぐにも刷新の必要な退屈な流行遅れに堕してしまいかけている。


ウェイン・マグレガー振付『ウルフ・ワークス』でのアレッサンドラ・フェリとギャリー・エイヴィス
Emma Kauldhar by courtesy of the ROH


 最後の第三部「火曜日(Tuesday)」は、なんとか第一部の水準を回復していた部分もあるが、それも全体的にというわけには行かなかった。群舞の用い方(子どもたちや、甲殻類を思わせる衣装の大人を含む)が弱いせいで、女優のジリアン・アンダーソンによるウルフの遺書の朗読として始まった劇の核心部分は、繊細に発展してゆけるはずのところがひどく妨げられていた。この第三部には、振付やドラマの強度の点で際立っていた部分がいくつも見受けられただけに、残念だ。

 本作の第一部と第三部が、伝説のバレリーナ、アレッサンドラ・フェリの主演によって見応えのあるものになったことは間違いない。よく知られているように、イタリアで生まれロイヤル・バレエで育ったフェリは、ケネス・マクミランはじめ名高い振付家のミューズだった。だから、時代を超えた彼女の芸術性がマグレガー作品でも重要な役割を果たしたことや、さらには、その存在が刺激となってマグレガーが過去の自作で確立してきた以上の広範な舞踊語彙を開拓できたことは、驚くに値しない。現在52歳のフェリは臆することなく自らの年齢を受け入れ、その踊りは今も技術的に完璧であるうえに、劇的な深味が加わっている。

 本作はフェリの名前とともに記憶されることだろうが、他の出演者もまた輝いていた。「今の私、過去の私」「火曜日」で彼女のパートナーを務めたフェデリコ・ボネッリは、現代最高の男性ダンサー/俳優といえる。彼を含めすべての役は意図的に、誰とはっきり定義されていない。配役表には多くの出演者の名前があるが、それぞれが何の役かは示されていないのだ。

 エドワード・ワトソンは第一部で、『ダロウェイ夫人』の作中人物で戦争神経症のセプティマス・ウォレン・スミスと思しき役を力強く演じ、観客を魅了した。ワトソンは第二部にも登場したが、彼やエリック・アンダーウッド、サラ・ラムのずば抜けた力量は、独創的ではあるがムラのある、カオス的な状況の中で十分には発揮されなかった。両性具有のオーランドー的な人物を大まかに描くのに最適なはずのナタリヤ・オシポワについても同様で、スティーヴン・マクレイと踊った第二部のデュエットの最初の数分間での、二人のスターのエネルギッシュさが印象に残るにとどまった。



Alessandra Ferri and Edward Watson in Woolf Works.
Emma Kauldhar by courtesy of the ROH


 マックス・リヒターの音楽も含め本作にはすぐれた点も多いが、それらを際立たせるためにも、今のままのエピソードとアイディアの羅列にとどまらず、全体の出来栄えをもっと均質に高める必要があるのではないか。(訳:長野由紀)