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ミュンヘン・バレエの『スパルタクス』で、クラッススを踊るセルゲイ・ポルーニン Photo: Emma Kauldhar

ミュンヘンの『スパルタクス』


グリゴローヴィチの記念碑的名作を、ミュンヘン・バレエがヨーロッパのカンパニーとして初上演。アリソン・ケントがリポートします。


 トラキアの剣闘士にして紀元前71年ごろにローマ帝国に対する奴隷反乱の主導者となったスパルタクスは、アラム・ハチャトリアンの1954年のバレエ音楽のインスピレーションの源となった。レオニード・ヤコブソン、そしてイーゴリ・モイセーエフによる二つの版に続いてこれを演出したのが、当時ボリショイ・バレエの監督を務めていたユーリ・グリゴローヴィチによる本作である。彼はハチャトゥリアン、美術家シモン・ヴィルサラーゼと緊密に協力しながら、今日までボリショイの最高傑作の一つとして踊り継がれることになる作品を、1968年に発表した。

 Bayerisches Staatsballett - Osiel Gouneo in Spartacus.

 スパルタクスはまた、現代の共産主義者や社会主義者にとってのアイコンでもあり、カール・マルクスは彼を、奴隷制を認める少数独裁制政治の元で抑圧された人々の解放の象徴として、自身の英雄の一人に数えている。ボリショイは過去数十年間このバレエを上演してきたが、ヨーロッパのカンパニーとしてはこのたびのバイエルン国立バレエ(ミュンヘン・バレエ)が初となる。これはもちろん、今期から同団の監督に就任したイーゴリ・ゼレンスキーの意向による選択だろう。

 

 初日のスパルタクスは、オシル・グネオ。自身にとても向いたこの役を、味わい深く演じた。各幕はタブローとして始まり、そこから情景が発展してゆき、主要人物の一人が幕の前で踊るモノローグへと続く(その間に密かに、背後での場面転換が完了する)。グネオは彼ならではのみごとなピルエットや、グラン・ジュテ、スプリット・ジャンプ等を連ねて舞台の端から端へと爆発的に進む踊りで観客の目を奪ったが、彼が特別だったのはそれ以上に、その孤独や真心を溢れさせる瞬間であり、奴隷の身の苦しみや自由を手に入れようとする決意の表現である。また、彼の叙情性はもっと注目され、評価されるべきである。妻フリギアを演じたブラジル出身のアイヴィー・アミスタとのパートナーシップも素晴らしかった。アミスタはやさしく愛情濃やかで、自信に満ち大胆に技術を披露する一方、演技は終始冷静だった。第三幕の長いソロでは、アラベスク・パンシェからロンド・ジャンブ・アン・ドゥダンにつながるフレーズで見事なコントロールを見せたのが目を引き、その直後に続くグネオとのパ・ド・ドゥでは、アダージョの濃密な調べに乗せてのアクロバティックなリフトの数々が印象的だった。

 

ミュンヘン・バレエの『スパルタクス』で、クラッススを踊るセルゲイ・ポルーニン Photo: Emma Kauldhar

 クラッススは、これが初役となるセルゲイ・ポルーニン。その出番のほとんどは戦場で兵士たちを率いる場面、宿敵スパルタクスとの対決、そして観る愉楽ともいえるナタリヤ・オシポワ演じる情婦エギナにあごで使われる様子に費やされている。この役のライトモチーフは、背を反らせ両膝を曲げたジャンプ(タン・ド・ポワソンの一種)で、ナイフあるいは儀礼的な用具を手にしている。ポルーニンはすぐれたテクニックを披露しつつ、短気で凶暴、かつ気まぐれな指揮官の性質をよく表現した。とはいえ、彼ほどの超絶技巧と表現力を持つダンサーにとっては、これは役不足だったというべきだろう。エギナは策士であり飽くことのない権力欲の持ち主で、クラッススを利用して頂点に立とうとしている。オシポワは官能性に溢れ、ステップの一つひとつが欺瞞とエロティシズムに彩られている。クラッススとは互いに軽蔑し合う同じ穴のむじなだが、完璧なテクニックと目の覚めるようなフットワークで舞台を支配したのは彼女の方。彼を誘惑し虜にする第二幕のパ・ド・ドゥは、ポルーニンとの息も合い、忘れがたいものとなった。

 
Bayerisches Staatsballett - Ivy Amista in Spartacus.
 

 『スパルタクス』は出演者数の数も多く、色彩的な調和、魅力的なリズムと官能的なメロディを備えた迫力ある音楽(カレン・ドゥガリャン指揮、バイエルン州立劇場オーケストラの演奏も、じつにみごとだった)をそなえたじつに大掛かりなプロダクションだが、それだけでなく、じつに壮大で、大胆なストーリー・テリングでもある。ローマならぬ『スパルタクス』を観て死ね、である。(訳:長野由紀)