Japanese Giselle

English National Ballet - Isaac Hernandez as Albrecht in Giselle by Akram Khan. Photo: Emma Kauldhar.

アクラム・カーンの『ジゼル』

English National Ballet, Manchester

19 世紀の名作の新演出。

イングリッシュ・ナショナル・バレエでの世界初演を、ヴィキ・ウェストールがお伝えします。


 

 アクラム・カーンは、今回『ジゼル』という作品を自ら選んだことで、深淵で古典的な領域へと新たに踏み込んだ。カタカリとコンテンポラリー・ダンスに由来する彼独特の力強い泥臭さはもちろん健在だが、そこにトウシューズが加わった。そしてカーンは、愛と裏切りと復讐と許しの物語を社会的不平等と階級差の結果と捉え、独自の世界を作り上げたのだ。

 語のあらゆる意味において、この作品を観ることは、振付家とダンサーはもとより、視覚、聴覚、身体感覚のすべてが融合した文化的体験だ。とりわけ、ヴィンチェンツォ・ラマーニャの音楽が素晴らしく、アダンの原曲のライトモチーフの断片が、メロディアスなオーケストラ、工場の音景、東洋的な短調、鋭い金属音などと、随所で絶妙に配され結びついている。衣装およびヴィジュアル・デザインはティム・イップによる。

 

 

English National Ballet in Akram Khan's Giselle.

 原典をよく知るバレエファンなら、ジゼルが健康で粗野な、社会の除け者のひとりとして登場することに違和感を抱くだろう。彼女たちは隔離された工場労働者で、時折、壁を超えて裕福な地主たちがやってくる。アルブレヒトはもちろん後者のひとりだが、二人は愛し合っており、ジゼルは愛の証しを授かっている。やはり彼女を愛するヒラリオンは上流階級との間に通じている。力と敵意を可燃ガスのように蓄え、頂点で爆発させるセザール・コラレスが凄まじい。そのシルエットが、古代の獣のように四つん這いで舞台を駆け回る場面も強烈。舞台を支配するこの男は、我々のヒロインにとって危険な対立者なのだ。

 第一幕は暗がりの中で始まり、照明が入るにつれて、舞台の全幅を占める石の壁と、頭の死体のようにも見える人々の後ろ姿が浮かんで来る。壁は少しずつ後ろへ移動し、やがてそこに阻害された労働者たちの居場所がたち現れる。カーンとドラマトゥルクのルース・リトルは、19〜20世紀におけるマンチェスターとバングラデシュの繊維産業の凋落に、かつて雇用があった地の廃墟と化した産業施設、という共通点を見出した。カーンの振付言語は人間性を剥奪された身体を暴き出し、その身体や四肢を編むようにして様々な構図を描き出す。

 

 

English National Ballet - Cesar Corrales in Akram Khan's Giselle.

 アリーナ・コジョカルが華奢ながら主張の明確なジゼルで、アルブレヒト役のイサック・エルナンデスは絵に描いたような好青年。両者の動きがあまりにも自然なので、たとえば、彼の空中での回転から着地への動きがいかに極限的な振付であるかも意識させない。二人の交わすマイムや娘たちが十字になって回っていく部分などで、原典が踏襲されいるのも心地よい。

 

 やがて壁はゆっくりと垂直上昇を始め(いったい何トンあるのか?我が目を疑った)、目を射るような光の中、宇宙船から降り立った異星人のような地主たちが登場。彼らを巨大に見せる衣装が、物理的にも心理的にも見事だ。ヒラリオンが接待のためのダンスを仕切り、物語は原典と同様に進行する。そしてアルブレヒトはベゴーニャ・カオ演じる美しいバチルドを選ぶことを強いられる。捨てられて気が狂ったジゼルは労働者たちに捉えられ、四方八方から差し出される腕や身体の渦に呑み込まれ、やがてヒラリオンの膝にからみ付いたその亡骸が現れる。彼女の死が凄まじい迫力で感知されだした時、超えることの不可能な巨大な壁が回りだす

English National Ballet - Fabian Reimair, Alina Cojocaru, Isaac Hernández and Begoña Cao in Giselle.

 緊張は第二幕に入っても高まり続け、ほとんどホラー映画のようだ。長身のスティナ・クァジバーの演じるヴィリの女王ミルタは、残忍で氷のように冷たい独裁者。パ・ド・ブレで舞台を横切りながらジゼルの身体を引きずり、目覚めさせる場面に説得力があった。コジョカルはここを完璧に演じ、また二つの世界を対比させる完成された芸術性で観客を魅了し続け、最後には共感をもたらした。ヴィリたちは集団で狩りをする野性動物のようで、一斉に指を動かし始めるやいなや(インド舞踊に由来するカーンの指使いは、表現手段として絶妙だ)、ヒラリオンの死、それも暴力的な殺戮が予感される。彼女たちが持つ長い竹竿は、優雅な図形を描いて異界的な性質を強調したかと思うと、凄まじいリアリティをもって彼を死に追いやる。アルブレヒトの”処刑”のためにもう一度登場してほしかったが、作品の最後は彼のジゼルへの愛の再確認と、彼女の女王への抵抗に時間を割いていた。ミルタとともに退場する間際、コジョカルがその黒い瞳で彼を見つめるところは、永遠とも感じられた。カーテンコールでのエルナンデスは、まだ私たちとともに、その熱い視線に焼かれた魂の痛みを抱いたままのように見えた。(訳:長野由紀)