IntJap Maina Gielgud

メイナ・ギールグッド近影  Photo: Emma Kauldhar

メイナ・ギールグッド

Maina Gielgud


かつてバレリーナ、芸術監督として活躍し、現在は世界中で指導にあたるギールグッドに、アマンダ・ジェニングズがお話を伺いました。


ジェニングズ(以下AJ):ダンサーを指導なさるようになったきっかけは?

ギールグッド(以下MG):先生が来なかったから!当時私はフリーのダンサーで、幸運にもロイヤル・バレエで団員と一緒にクラスを受けさせてもらっていました。その日はフォンテインをはじめ有名ダンサーがずらりと顔を揃えていました。プリンシパルとソリストだけのクラスだったと思うのですが、先生が全然現われないの。そのうち皆がこちらを向いて「メイナ、クラスをやって」と言い出し…それが私の、指導者初体験になりました。

 

<">AJ:世界中のカンパニーや学校と、教師、コーチ、上演指導者、そして芸術監督として仕事をしてこられました。生徒への教え方は、プロに対してとどう違うのでしょう?

MG:私は、教え方をあまり変えません。生徒の場合は、バレエには規則があることを理解させるのが大事ですが、それ以上に柔軟でいてもらいたいから。たとえば、アラベスクは単に習ったとおりにやればいいのではありません。腕の位置にも違いがあり、ロマンティック・バレエならそれにふさわしい力の流れやムードがあるものなんです。一つの流派で育って、バランシンでも『ジゼル』でも『白鳥の湖』でも『ラ・バヤデール』でも同じアラベスクをする生徒が、よくいますよね。でも本当に面白いのは、一つのステップの中に様々な可能性を発見することなんです。こんな風に考えるようになったのは、私自身のちょっと変わったバレエ歴からくるのかもしれない。以前数えてみたら、私はプロになるまでになんと35人の先生に習っていたの!指導の違いに戸惑うことはなかったし、その経験がたくさんの振付家や上演指導者と仕事をする上でも有益だったと思います。でも、一人に全てを教えてもらったわけではないので、私はいつもそれぞれのどこが違うのかを考えていました。どこが似ているのか、ではなく違いをね。たとえば『ジゼル』『ラ・シルフィード』という二つのロマンティック・バレエや『パ・ド・カトル』について。もちろん『白鳥の湖』と『ラ・バヤデール』についても。そうやって身につけた適応力が、とても役に立っています。

 

AJ:今回のクラス(ロイヤル・バレエ・アッパースクールの2年女子)では、上体を“見せて”おられましたね。生徒たちがそれを理解しているかどうか、私も注意して見ていました。個々の動きでしっかり上体を見せ、またあなたのお手本のように視線をどう上げて客席全体をどう見るかは、重要なポイントだと思いますが…

MG:ええ、私も『アナスタシア』を観ながらそのことを考えていました。収録が行われた日にバルコニー席にいたのですが、普段は2列目でもオペラグラスを使う私が、全くその必要がなかったんです。なぜなら、オシポワの表現が上の席までしっかり届いていたから。目線を動かすとバランスを崩すのではなどと心配して平土間の4列目あたりまでしか見ていないダンサーもいる中で、彼女は全部の空間を使っていました。

 ロシアでは、先生がクラスで常にそういうお手本を示しているのに、教わる側がその意味を全く分かっていないというのを、よく見かけます。ロシアの指導者は、そこを言葉では教えないのね。見学しているとかえってよく分かるので、口出ししてもいい場合には「オリガを見て」とか「あの子の上体の、ダンスへの愛を見て」などと、ずっと横から言っています。ロシアの、特に過去の世代のポール・ド・ブラには男女を問わず、この腕の動かし方を今ここで発見した、それを見てほしいとでもいった感覚がありましたね。喜びが溢れていたの。

 

AJ:現代のダンサーには、もっと音楽性が求められるのでは? 

MG:全くそのとおりです。私もダンサーとして、特に現代作品を主に踊っていた時期には、「違う自分にならなくては。しっかり立たなくては」と思い詰めるあまり、音楽を聴くことが疎かになりがちでした。そして頭を使うことを忘れ、結果的にテクニックもうまくいかない。きちんとコーディネートできてさえいれば、落ち着くところに落ち着くのにね。たとえば『ジゼル』第一幕のソロでは、プレパレーションばかりに気を取られないで。これはワルツなんですから!うまく行かなかったら、そのとき原因を考えればいいの。私は早熟で、9歳か10歳でレガート派のフェッテもマスターし、ポワントも履いていました。みっともない格好だったと思うけど、それは後から修正できるのよ。13歳ごろには不安感や間違ったやり方を克服して、できるという自信がつくんです。(訳:長野由紀)