DANCE EUROPE 日本語版


Riku Ito in MacMillan's Elite Syncopations.Photo: Emma Kauldhar


Dance Europe 日本語版 

 


メン・イン・モーション公演で、アラステア・マコーレー振付『月の光』を踊るマチュー・ガニオ 
Photo: Emma Kauldhar

MEN IN MOTION  メン・イン・モーション -


イヴァン・プトロフのプロデュースの最新公演を、マイク・ディクソンがリポートします。

 


 早くから興行主、監督としての才覚を発揮してきたプトロフは、あらゆる点で質を追求し、つねに世界初演作品をプログラムに加えてきていた。最新の公演ではサミュエル・バースティン指揮の素晴らしいオーケストラを再び用い、フランス、イタリア、ロシア、ドイツ、英国からソリストを招いた。

 ルドヴィック・オンディヴィエラが神のごときマリアン・ヴァルターに振り付けた『ベルリン』は、エネルギーの爆発と彫刻のようなポーズが特徴的な、趣味の良いソロだ。白いトランクスと長袖のトップという衣装で、バランスを取り、跳躍し、ダブル・トゥールを行ったかと思うと、ゆっくりと歩行する。滑らかでよくコントロールされた、質の高い踊りだ。ヴァルターの力強い両脚には筋肉や腱の一つひとつがくっきりと浮き上がり、よく言う「解剖学の本の挿絵のよう」だ。それ自体が賞賛の的だが、その洗練ぶりは、身体的なものをはるかに超えている。マシュー・ボールが力強く踊ったのは、クリストファー・ブルース振付の『スワンソング』。最後の部分は繊細に転じたが、それが先行する二人の拷問者による尋問の場面からのつながりを弱め、感情的な重みは損なわれた。

 アラステア・マリオットの『月の光』はエレガントで、マチュー・ガニオのパリ・オペラ座流の技量をよく活かす作品。みごとな5番ポジションで幕を開け、長い手足の配し方は、全体を通してポエジーを感じさせた。衣装の上半身には繊細な羽毛がついており、アカデミズムそのものピルエットやエレガントな立ち姿の変化に応じて、目を喜ばせてくれた。

 フランチェスカ・ヘイワードとイヴァン・プトロフは、フォーキンの『ばらの精』で好相性を見せたものの、二人の間に火花が散るところまではいかなかった。この夜先に上演された演目が高尚な趣味だったので、このタイミングで観客が求めていたのは、エネルギッシュな超絶技巧だ。プトロフは何度か舞い上がるような跳躍を見せたが、窓からの登場や最後に消えていくところは物足りない。ヘイワードは、いつもに比べて輝きが弱かったが、古典の踊り方としては第一級だった。続くラッセル・マリファント振付『アフターライト』(パート1)を踊ったのは、ダニエル・プロイエット。最初の出番の出来栄えが思わしくなく、出世作でもある本作で巻き返しを図ったのだが、ロンドン・コロシアムの巨大な舞台では、彼の踊りもマイケル・ハルの暗めの照明も本領を発揮できず、全体としては精細を欠いた。

 

 第二部の冒頭を飾ったエリック・ゴーチェの『バレエ101』は、今やすっかりガラ公演の定番となったソロ。人気ももっともなことで、ぞくぞくするような技巧と楽しさが詰まっていて、観ていて気分が高揚してくる。オランダ国立バレエのジョヴァンニ・プリンチックが、作品のそうした魅力を存分に伝えた。

 アントン・フコフキンの『ペトルーシュカ』のソロはその後では分が悪かったといえるが、そもそも『ペトルーシュカ』という作品は、一部だけを抜粋上演しても上手くいった試しがなく、また役は、絶対に舞台上で笑ったりしてはいけないのだ!! 

 ガニオの二つ目の演目は、『白鳥の湖』第一幕より王子のヴァリエーション。古典的な長いラインを、強く印象づけるものだった。ガニオには威厳があり抑制が効いている。だが彼は、一方では切れ味のよいバットゥリーを初めとするダイナミックな技の質の高さでもよく知られており、観客としてはそちらも観たかったと思ってしまう。 

 プトロフとボールによるオンディヴィエラの『System/A.I』は、巧みに構成されたオリジナリティのあるデュエット。素肌に見えるショーツを履いたボールが、彼の所有者/創造者であるプトロフの手で、舞台上に姿を露わにする。プトロフが指を鳴らすと、ボールはまずロボットのように動き出す。二人の間の、操る側と操られる側の交錯、強力なバランス技、回転、落下などを含めた力関係の変化が魅力的で、支配する力が一方から他方へとシフトする筋立てにも惹きつけられた。世界初演のこの作品は、この夜のハイライトの一つであり、近い将来の再演を期待したい。

 

 これも世界初演だったのが、アーサー・ピタの『ジングリング・フロム・ザ・ジルズ』。偉大なるイレク・ムハメドフの彼ならではの身体能力と喜劇の才能を、完膚なきまでに引き出すものだった。ムハメドフはウォッカをあおり、皮肉っぽいジョークを客席に飛ばし、頭からの流血も辞さずにタンバリンを叩く(誓って言うが、嘘ではない!)。

 前座的な部分が終わると、大きな箱からタンバリンを取り出し、『くるみ割り人形』のロシアの踊りに合わせにこりともせずに連打する(音楽的で巧みだ)。ハチャトリアンの『仮面舞踏会』のワルツになるとリズムを取り損ない、タンバリンを床に投げつけては次々と新しいのを取り出し、しまいには苛ついて頭で叩きはじめる。そして、床が壊れたタンバリンと脱ぎ捨てた靴で一杯になるまで、踊り続けるのだ。還暦も近いムハメドフは今も骨の髄までの舞台人であり、高い技量で観客を魅了した。ブラボー、ムハメドフ!そしてこのマジックを実現したプトロフにも、喝采を贈りたい。(訳:長野由紀)PHOTO GALLERY

 


 

マリインスキー・イン・ロンドン

この夏沸きに沸いたロンドン・シーズンのハイライトを、マイク・ディクソンがお伝えします。

 


 『白鳥の湖』の初日の王子役は、ザンダー・パリッシュ。終演後、芸術監督ユーリ・ファテーエフによって(緞帳の向こう側ではあったが)、プリンシパルへの昇格が発表された。ロイヤル・バレエの群舞の一員だった頃にロシアに誘われたパリッシュは、今やサンクト・ペテルブルクの名門のスターとなり、国際的なガラの常連でもある。ジークフリート王子を演じる彼を見た後では、その騒ぎがなんであるのかは十分に察しがついたし、この昇進は、彼こそはイギリスの生んだ最高のダンスール・ノーブルであるという私の持論を裏付けるものでもあった。

 登場場面でのパリッシュのしぐさには威厳と大きさが、歩行には風格があり、手足の先まで貴族的だった。同時に若々しく情熱にあふれ華やかで、舞台で起こることに知的に反応しながら、王族ならではの存在感が損なわれることがない。共演者は、ヴィクトリア・テリョーシキナ。マリインスキーの中でももっとも洗練されたバレリーナであり、そのオデット/オディールは、解釈の深みといいそれを踊りで実現する力といい最高級で、意思の強度を身体がそのまま体現していた。二人は湖畔の場面では身体の詩を描き、黒鳥の場面では火花を散らした。ロットバルト役のアンドレイ・エルマコフは力強く弾力に富む跳躍で男性的な存在感を示し、最後のパリッシュとの対決には真のドラマがあった。道化のヤロスラフ・バイボルディンは若々しさと技術を備えていたが、このバレエ団が輩出してきた他の道化のような、高度な技をそれと感じさせない技量には欠いていた。パ・ド・トロワのナジェージダ・バトーエワは歯切れ良い足さばきと音楽性を見せ、ソフィア・イワーノヴナ=スコブリコワは温かく詩的、フィリップ・スチョーピンは力強くよく伸びたラインを持ち、自信を持って踊っていた。

アレクセイ・ラトマンスキーがロディオン・シチェドリンの音楽に振り付け、2010年にこのバレエ団で初演された『アンナ・カレーニナ』は、ロンドンでも翌2011年に上演されている。繊細で効果的なミカエル・メレビーの衣装とヨルン・メリンのビデオ・グラフィックスが壮麗な宮廷の内部が描き出し、アンナの亡骸が運び出される冒頭から、フラッシュバックの手法で急速に展開していく演出は映画的だ。もっとも、トルストイの原作が短い場面を連ねなることで複雑な筋を詳細に語るのに対し、映画化では、物語は往々にして簡略化されてきたのだが。アンナ役のテリョーシキナは役に同化し、情熱的で忠実で母性的で、愚かなほど向こう見ずで、最後には絶望する。あらゆる感情のニュアンスを理解した、円熟し洗練されたアーティストの「読み」であり、表現力豊かな全身が、どの瞬間にもアンナの混乱を表現した。

 とはいえ、ラトマンスキーがバレエの中心に据えたのは、他ならぬヴロンスキー伯爵である。最初に舞台に登場するのはアンナのこの愛人であり、彼を軸に物語は展開する。パリッシュはここにおいて、演技派ダンサーとしての才能をついにロンドンの観客の前で全開にした。ヴロンスキーを演じる彼は天の啓示を受けたかのようで、第一舞踊手としての表の顔をかなぐり捨て、危険なほどに華麗な誘惑者を、きわめてナルシスティックに演じた。舞踏会場に最初に現れる場面では獲物を狙う虎のように自信にあふれてその場の女性たちを虜にし、アンナが夫の元に戻り自殺を企てる場面では、内なる悪魔に支配される。テリョーシキナと組むとき、感情は抑えようもなく燃え上がる。二人の情熱的なパ・ド・ドゥはどれも、この作品のハイライトだった。

 

 「コントラスト」と銘打たれたミックス・プログラムは、アルベルト・アロンソ振付『カルメン組曲』、ウェイン・マグレガー振付『インフラ』、プティパの『パキータ』グラン・パから成り、その名にふさわしく多彩だった。 『カルメン組曲』は、冷戦たけなわの1967年にマイヤ・プリセツカヤのために作られた。闘牛場を模した半円形の装置はボリス・メッセレルのデザインで、高い背もたれの椅子が並んでいる。1998年、アロンソは私に、マイヤが最初の舞台リハーサルでこの装置を見た時、「椅子が空いているのはなぜかを訊かれたときのために、答えを用意しておいて」と切羽詰まった口調で囁いた、と話してくれた。はたしてリハーサルが進むうちに、コートを着込んだ大柄な男たちがてんでに平土間に現れ、やがて進行を無視して舞台に上がってきた。そしてまさしく彼に、「なぜ椅子が空いているのか?」と質問してきたのだという。このときアロンソは、いきり立つ彼らを鎮めることができたが、KGBによる強制連行が始まったこの時代、座る人のいない椅子とは行方不明になって二度と戻らない家族の暗示であり、ゆえに、この装置が当局への間接的な批判となりうるものだとは、想像もつかなかったという。もはや時代がかった作品だが、今なお劇的な残り香もある。主役のエカテリーナ・コンダウーロワは美しくセクシーで自信にあふれ、みごとな脚線で舞台を支配した。ドン・ホセのティムール・アスケロフはよい踊りだが、パートナーの影に隠れてしまった。トレロ(エスカミーリョ)は長身のアレクサンドル・セルゲイエフ、華があり、コンダウーロワとも火花を散らした。運命役のエカテリーナ・チェブィキナは彫像のごとき存在感、そしてロマン・ベリャーエフがカルメンの心を射止めようとするもう一人の男であるコレギドールを印象的に演じた。(訳:長野由紀)PHOTO GALLERY


 

金原里奈

イングリッシュ・ナショナル・バレエの新鋭に、ジェラール・デイヴィスがお話を伺いました。 


 

バレリーナになろうと思ったきっかけは? 5歳の時、母が「美しい女性はみんなバレエの経験があるから」といって、京都のあるバレエ・スタジオに連れて行ってくれたんです。私もバレエが気に入って、8歳になる頃には週に4、5回レッスンするほどのめり込んでいました。先生は私がプロになりたがっているのを知って、目をかけてくれました。そのうちコンクールに出場するようになったのですが、そのスタジオは小さくて、出場するのは私一人。レベルの高い教室では、20人以上出ることも珍しくなかったのですが。READ MORE



グランド・オーディションでヴァリエーション審査に進んだ小西聡子  Photo: Emma Kauldhar

グランド・オーディション

ロイヤル・バレエ元プリンシパルのダヴィッド・マハテリが企画した、ダンサーの就職支援のための催し。エマ・コールダーがリポートします。


 

プロとして最初の契約を勝ち取ろうとする時、そして移籍を考える時、ダンサーが受けなくてはならないのがオーディションだ。だがそのほとんどは、一年の最初の2ヶ月ほどに集中している。それらを受けて回るのは交通費もかさむし、なにより精神的な負担が大きい。そうした状況の中、9つものバレエ団の芸術監督が一堂に会してオーディションを行うというのは素晴らしいアイディアであり、ダヴィッド・マハテリが昨年ブリュッセルでこの企画を立ち上げた時の狙いも、まさにその点、つまりダンサーの負担軽減にあった。READ MORE